【寄稿】廃炉ロードマップから「デブリ取り出し」「原子炉解体」が消えていた! 福島第一原発の「最終形」議論、急ぐべき

廃炉ロードマップから「デブリ取り出し」「原子炉解体」が消えていた! 福島第一原発の「最終形」議論、急ぐべき

ジャーナリスト・小森敦司

政府や東京電力による福島第一原発の廃炉に向けたロードマップ(工程表)から、大事な柱がいつの間にか消えていた――2011年3月の原発事故から間もなく15年が経つ。筆者は元々、縦割り組織である新聞社の経済部記者だったので、科学関係の記者が担う廃炉の問題に深くかかわることはなかった。だが、退社後、対象を広げて勉強・取材してみると、この間、ロードマップから「燃料デブリ取り出し終了」や「原子炉の解体」という大きな目標が消え、廃炉完了時の姿(エンドステート)があいまいになっていることを知った。いま、「廃炉要件を法で定めるべきだ」「長い時間を掛けて放射能の減衰を待つべきだ」といった専門家らの指摘をふまえ、廃炉の最終形を真剣に考えるべき時だと考える。今回はそうした問題提起をしたい。

もくじ

(1)消された2大目標

密かに消した、という印象だ。福島第一原発の廃炉に向けたロードマップ[1](以下、マップ)にあった「燃料デブリ取り出し終了」と「原子炉施設の解体」という2つの重要な目標が無くなったのは10年前のことだ。どちらも廃炉工程の大きな柱だ。

時をさかのぼり、問題の本質を明らかにしたい。

事故を起こした原子炉が「冷温停止状態」に入った2011年12月、東京電力[2]と資源エネルギー庁、当時の原子力安全・保安院の3者が、このマップの初版をとりまとめた。廃炉に向けて必要な作業や課題を示したものだ。その後、5回にわたり改訂された。現時点で2019年版が最新版だ。

最初の2011年版マップは、全号機の「燃料デブリ取り出し終了」について「20~25年後」と明記した。この目標について、マップは「原子炉格納容器まで燃料デブリが落下している等、TMI-2(1979年に事故を起こした米スリーマイル島原発2号機)に比べて分布範囲が広範なことも踏まえ、想定」したとする。

そして、「原子炉施設の解体」の終了時期は、「30~40年後」を目標にするとした。つまり、2011年から数えて、遅くとも「燃料デブリ取り出し終了」は2036年までに、「原子炉施設の解体」は2051年までに終えることにしていた[3][4]

2011年版マップの添付資料は、そうした目標を分かりやすく図表にしていたので、該当箇所をスクショし、下に貼り付ける。まず、「燃料デブリ取り出し終了」の部分はこうなっていた(その一部を拡大して下に貼り付ける)。

次に、原子炉施設の「解体」部分を貼り付ける。

※ 黄色のマーカーはいずれも筆者が引いた。

筆者は以前、東電は燃料デブリをすべて取り除き、原子炉施設を解体、更地にして、地域に返すと思っていた。事故を起こした東京電力と国策として原発を進めた政府に、そうした責任があると考えていた。実際、2011年版マップは「燃料デブリ取り出し終了」をしたうえで、「原子炉施設の解体」までを描いていた。

ところが、その「20~25年後」の「燃料デブリ取り出し終了」という記述は、2012年版と2013年版にはあったのだが、2015年版から消えてしまった。「原子炉施設の解体」という記述も無くなってしまった[5]

大枠の「30~40年後の廃止措置終了」という表現こそ、2019年版まで残っているが、「廃止措置」が具体的に何なのか、の記述がない。だから、廃炉完了時の姿(エンドステート)がどうなっているのか、が分からない。

察するに、福島第一原発は圧力容器の損傷がひどく、溶け落ちた燃料デブリが外側の格納容器まで広がり、その取り出しが米TМI原発事故より格段に難しいことが分かってきたので、具体的な目標を書くことができなくなったのではないか[6][7]

こうした記述の改変は、更地化を願う声があった地元には重大な意味があるはずだ[8]。そう思って、いくつかの新聞記事データベースで過去の改訂を調べたが、そうした視点の記事はほとんどなかった。政府・東電が明確な説明をしなかったからだろうか。

実は筆者も、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故をはじめ原発の廃炉に関する調査研究を続ける尾松亮氏の月刊誌「科学」(岩波書店)の連載記事やブックレット「廃炉とはなにか」(同)などを読むまで、そうした改変に気付かなかった[9]

尾松氏に聞くと、計6つのマップをすべて印刷、読み込むなかで、それらの改変を見つけたという。筆者も尾松氏にならい、すべてを印刷、記述を比較して、そうした改変を確認した。

(2)「廃炉要件を定めた法律がない」

ところで、東京電力の廃炉作業の指導や監督などをする「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」[10][11]という組織がある。事故後、官民共同出資で設立され、同機構が東電に出資、筆頭株主になった。その意向は東京電力を左右する。

その機構幹部がいま、廃炉作業の進捗状況などを住民に伝える「廃炉に関する対話」を福島県内で続けている。その模様は、過去の分もネット配信で見ることができるので、筆者も何回か見てみた。さらに今年10月31日、福島第一原発の西南に位置する福島県川内村であった「対話」には、実際に会場を訪ねてみた[12]

その日は雨が降っていたからだろうか、聴衆は10人もいなかった。機構の執行役員廃炉総括グループ長の池上三六氏は、優しい口調で話し始めた。「最初に福島第一、つまり事故を起こした原子力発電所の廃炉と、通常の原子力発電所の廃炉と何が違うのか、ということをお伝えしたい」

そう言って、両者の「違い」を表わす2つの図を示した(スクショして下に貼り付ける)[13]。きっと、各地で開く「対話」で毎回、同じような説明をしているはずだ。

ただ、筆者は違和感を覚えた。というのも、池上氏は、福島第一原発の燃料デブリの取り出しがいかに困難な作業かを丁寧に説明するのだが、マップが掲げる「30~40年後の廃止措置終了」の最終年の2051年において、福島第一原発が実際にどうなっているか、を語ることはないのだ。

質疑応答の時間になり、筆者は池上氏に尋ねた。「『更地にして地元に返す』ということが福島第一では見通せない、ということを理解してもらいたいのでしょうか」

池上氏はこう答えた。「廃炉の行く末についてどうなっていくか、こういう場でもすごく議論になります。更地になるのか、あるいは経済的な施設が設置されるべきという方もいますし、フラワーパークを作るのがいいという方もいらっしゃいまして。いろんな考え方があると思いますが、いわゆるエンドステート、これはまだ決まっていないというのが事実です」

このやりとりを尾松氏に当てると、そこに重大な問題があることを教えてくれた。「池上氏が、(決まってないなどと)『言い訳』ができるのは、日本に事故原発の廃炉完了要件を定めた法律がないから、です」というのだ。ロードマップについてもこう評価した。「そもそも法的根拠はなく、その時々の政府の判断で内容を見直すことができる計画書にすぎません」[14][15]

(3)「最終形」示さないスローガン

ロードマップの考察をさらに深めたい。

事故で炉心溶融(メルトダウン)した福島第一原発1~3号機には、溶け落ちた燃料デブリが計約880トンあると推定されている。2024年11月と2025年4月に2号機で試験的に採取したが、この2回の採取量を合わせても約0.9グラムだった。10年以上かけて取り出せた燃料デブリは1円玉(1グラム)ほどということだ。

こんな具合だから、廃炉の問題を最前線で取材する記者たちは、マップにある「30~40年後(筆者注:40年後は2051年となる)の廃止措置終了」は無理ではないか、と東電を追及している。例えば、東電が今年7月29日、燃料デブリの「本格的な取り出し」の開始が2037年度以降にずれこむと発表した際も、記者たちは「2051年までのスケジュールの変更はないのか」などと質した[16]

これに東京電力福島第一廃炉推進カンパニー代表の小野明氏は、「(廃止措置の)30~40年という目標時期を否定するような状況ではない」といった見通しを繰り返した。ただ、注目すべきやりとりもあった。ある記者がこう質問した。「いずれ建屋の解体が必要になると思うんですけど。廃炉の最終形という意味で……」

小野氏はあっけらかんと、こう答えた。「建屋の解体とおっしゃいましたけど、そこはまだ決まってないと思っています……発生した廃棄物の処理処分のあり方、それから燃料デブリを技術的にどう扱っていけばいいかというところを、しっかり検討して、社会的な面も加味して、廃炉の姿を検討していくことになるのではないかと思います」

前述のとおり、「原子炉施設の解体」はマップからとっくに消えているので、小野氏の発言と今のマップと齟齬はないと言える。一方、質問した記者は、東京電力は、いずれ「更地にするために建屋を解体するはずだ」と考えていた。筆者も尾松氏の論考を読むまで同じように考えていたので、そうした認識を批判するつもりはない。

問題は、「燃料デブリの全量取り出し」や「原子炉施設の解体」といった重要な目標を消し(そうしても何の責任も問われない)、廃炉完了時の姿、つまり廃炉の最終形をあいまいにしたまま、「30~40年後の廃止措置終了」をスローガンのように掲げ続けていることだろう。

(4)2051年、「デブリ一つかみ」?

しかし、廃炉作業が非常に困難なことが、ますますはっきりしてきている。

前の原子力規制委員長で、「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」の廃炉総括官・更田豊志氏は今年5月、福島市内であった報道機関との懇談会で、燃料デブリの取り出しに関してこう語った。「(「30~40年後の廃止措置終了」の最終年となる)2051年に最初の一つかみができていれば、上出来だと思っています」

衝撃的な発言だ。福島第一原発の廃炉に関する方針づくりで更田氏の存在は重たいはずだ。筆者はこの懇談会に参加していないので、今回、機構に情報公開請求をして、更田氏と記者のやりとりを文字に起こしたペーパーを入手した。読み進めると、確かに更田氏はそう語っていた。

前述の川内村の「対話」には更田氏も出席していた。質疑応答で、筆者は更田氏に端的に聞いてみた。「更田さんは燃料デブリの取り出しで2051年に一つかみできたらいいと発言されていますが、だとすれば……2052年以降はどうされるのでしょうか」

地域住民に説明する更田豊志氏(右)と池上三六氏(左)=2025年10月31日、福島県川内村で。

更田氏の答えはこうだった。「東電のこれまでの作業は廃炉というよりは応急処置、汚染水への対処等々に注力してきたわけですけど、ようやく危険状態を脱し、落ち着いて考えられる段階に入ってきていると思うんです」

「マップを変えないでいいかという議論は大変重要だと思いますけど、まだ議論をきっちりするための材料がそろってない……やっぱり材料を揃えるのに、1年から1年半ぐらい時間をいただきたいと私は思っています」 [17]

こうした発言からすれば、遠からず、マップは見直しがなされるのだろう。

(5)取り出した燃料デブリ、どこへ

ただ、仮に今後も燃料デブリの取り出しを続けるとするなら、取り出したデブリを、誰の責任で、どこで、どう保管するのかという厄介な課題と向き合わないといけない。

大きく報道されていないが、2019年版のマップは、初号機の燃料デブリ取り出しに絡んで、「取り出した燃料デブリは容器に収納の上、福島第一原子力発電所内に整備する保管設備に移送し、乾式にて保管を行う」と記している。その量や期間の具体的な記述はないが、福島の地に置くとしているのだ。

尾松氏はこう指摘する。「取り出すことができた一部の『燃料デブリ』は東電が原発敷地内で保管し、『取り出せないデブリ』は炉内に放置される。そんな事態を違法とする法規則がないのです」。そして、「やはり廃炉完了要件や燃料デブリの高レベル放射性廃棄物としての位置づけを定める法律が日本には必要です」と訴えた。

教訓になる事例として、尾松氏は米TМI原発事故の燃料デブリの取り出しの経緯を著書に書いている。要約するとこうだ。燃料デブリの「搬出先」が決まらないまま取り出しが進めば、敷地内でのデブリ保管が半永久的な貯蔵になると住民が懸念したことなどから、米国の原子力規制委員会とエネルギー省が覚書を締結。燃料デブリの政府による引き受けが決まり、同省傘下のアイダホ州の研究施設に移送されることになった、という[18]

先の川内村の「対話」で、更田氏はこうも語っていた。「廃炉で一番恐れているのは、取り出したものをちゃんと保管できるか、ということ……福島第一は決して広い敷地ではありませんで、取り出したものをすべて中に置けるかどうかという保証は今のところ、見通しが立っているわけではありません」[19]

この「対話」の最後、筆者は、更田氏に「米TМIの原発事故では、燃料デブリは遠く離れたアイダホ州にある米エネルギー省の研究所に移したが」と話したうえで、取り出した燃料デブリをどうするのか、を質した。

更田氏の答えはこうだった。「米国とは事情がまったく違う。核弾頭をいっぱい持っていて、そういったものの保管に関する条件が整っている。研究所っていう感覚も違っていて、敷地面積の規模が全然違うのです……福島第一のデブリは、まだ(筆者注:本格的に)取り出してもいないものについて、(処分地の)お願い、ご説明をしようにも、しようがありません」。帰って調べると、米国のその研究所の敷地面積は、沖縄県や東京都より広かった。

(6)「危険な遺産」、どこまで取り除くか

ここで私たちが考えるべき論考を、もう一つ挙げておきたい。非営利のシンクタンク「原子力市民委員会」による「燃料デブリ『長期遮蔽管理』の提言」(2021年4月)[20]だ。危険をおかして燃料デブリを無理に取り出すのではなく、建屋全体を外構シールドで覆い、デブリの冷却を空冷式に切り替えた上で、「長期遮蔽管理」を行うというものだ。

これに先立って同委員会が2017年に出した提言「100年以上隔離保管後の『後始末』」には、「作業環境の放射線レベルは100年後には現在(メルトダウン6年後)のおおよそ1/16倍になり、200年後には約1/65倍になる」とあった[21]

十分な安全対策を講じたとしても、福島第一原発の敷地内に燃料デブリを長い期間、「置く」ことは、地域住民にとってはとても辛い話になるのに違いないが、作業員の被ばくなどを考えると、そうした長い時間軸を考えることが必要なのかもしれない[22]

最後に、尾松氏がその著書に記した大事な点を転記しておきたい。

「私たちは『福島第一原発をどのような状態にしてほしいのか』、意見していかなければいけない。100年以上かけてでも更地化を目指すとすれば、誰の責任で、どのように世代をまたがるプロジェクトを運営していくのがよいのか。更地化まで目指さず、デブリが残ったままの原子炉を永久に安全に管理してほしい、という意見もあるかもしれない。そうだとして、では、その『永久の安全性』を誰の責任でどのように保証させ、どんなふうにチェックするのか……それは技術の問いである前に、私たちの願いについての問いだ。私たちの子ども・孫たちがこの国に暮らすとして、私たちが残してしまう危険な遺産をどこまで取り除くのか、についての問いだ……そろそろ決めなければならない。廃炉とは何をすることなのか」[23]


脚注

[1]  最初の2011年版の正式名称は「東京電力(株)福島第一原子力発電所1~4号機の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」。2015年版で「東京電力(株)福島第一原子力発電所の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」となり、2017年版から「東京電力ホールディングス(株)福島第一原子力発電所の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」になった。いまも、東京電力ホールディングスのホームページで見ることができる。なお、決定の主体は2011年版では「政府・東京電力中長期対策会議」だったが、2019年版だと政府の「廃炉・汚染水対策関係閣僚等会議」になっている。https://www.tepco.co.jp/decommission/information/committee/roadmap/index-j.html 

[2] 東京電力は2016年4月、ホールディングカンパニー制を導入し、「東京電力ホールディングス株式会社」が東京電力グループの持株会社となったが、本稿では原則として「東京電力」と記す。

[3] ロードマップの「30~40年後の廃止措置終了」はどうしてできたのか。朝日新聞デジタルは「政治家が値切った『40年』」(2021年2月11日)という記事で、原子力委員長だった近藤駿介氏が明かした「理屈」を次のように記している。「10年の手探りの後、炉心溶融した1~3号機を一つ10年ずつかけて片付ける――。『そんな計算式に何の意味もないんだけど。『最速で40年』でも完全に言い過ぎです。政治家の方はだいたい我々の数字を値切る(短くする)。むしろ値切るのが仕事だから』と振り返る」https://digital.asahi.com/articles/ASP2B7QGQP1CULBJ00B.html 

[4] 東京電力は2021年6月、福島第二原発全4基の廃炉作業を始めた。建屋等の解体撤去まで2064年度の終了をめざす。事故を起こした福島第一の「30~40年後の廃止措置終了」に対し、事故を起こしていない福島第二の「廃止措置期間」が44年の「見込み」になっている。https://www.asahi.com/articles/ASP6R31J1P6QULFA024.html https://www.tepco.co.jp/press/release/2020/pdf2/200529j0101.pdf 

[5] 2011年版、2012年版のロードマップにあった「30~40年後」の「原子炉施設の解体」という記述は、2013年版で「【第3期】第2期終了~廃止措置終了まで(目標はステップ2完了から30~40年後)」(P15)、「福島第一原子力発電所1~4号機の燃料デブリ取出し後の施設の解体など原子炉施設の廃止措置は……」(P61)といった複雑な表現になり、2015年版で「原子炉施設の廃止措置計画」「廃止措置計画は、30~40年後の廃止措置終了を目標に……」などと記され、「解体」という文字が無くなった。(P20)。

[6] 早稲田大学教授の松岡俊二氏は2021年、福島第一原発の約880トンの燃料デブリ取り出しにかかる期間を試算した論文を発表。米TМI原発事故の実績を踏まえ、1日の取り出し量を50キロと仮定すると68年、20キロと仮定すると170年が必要になる、とした。そのうえで、デブリ取り出しについて「どこまでこだわるべきか、一度立ち止まって真剣に検討すべきであろう」と指摘した。https://smatsu.w.waseda.jp/material/Matsuoka_2021_1Fdebris.pdf
https://prj-matsuoka311.w.waseda.jp/material/wiapstokyu.44.0_77.pdf

[7] 東京電力ホールディングスは2025年7月、福島第一原発の廃炉にかかる費用として、2025年4~6月期決算で新たに9030億円の特別損失を計上したと発表した。朝日新聞は、燃料デブリの本格取り出しに向けた準備作業の大枠が固まったため、としている。また、廃炉全体の支出は予定も含めると5兆円に迫り、想定の8兆円を超える可能性が高まっている、とした。https://digital.asahi.com/articles/AST703FXKT70ULFA02BM.html?iref=pc_extlink https://www.tepco.co.jp/press/release/2025/pdf3/250731j0101.pdf 

[8] 例えば、福島県知事と地元の13市町村長は2016年8月、経産相に対して、「燃料デブリや使用済燃料などの放射性廃棄物については、原子力政策を推進してきた国の責任において処分方法の議論を進め、県外において適切に処分すること」などを申し入れている。https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16025c/genan413.html
また、福島第一原発がある大熊町の吉田淳町長は共同通信の取材に対し、「事故が起きた発電所であっても最後は更地に戻して終わりにしてほしい」、同じく双葉町の伊澤史朗町長は「廃炉とは原状復帰だから、全部きれいに整地されて、元の姿になっているのをイメージしている」と述べた、という(2020年12月3日、東奥日報など)。

[9] 尾松亮氏の月刊誌「科学」(岩波書店)の廃炉関連の連載は2021年3月号から2022年2月号まで。同氏の岩波ブックレット「廃炉とは何か」(2022年8月)はコンパクトながら廃炉の問題を多角的に論じている。また、同氏は福島県の総合情報誌「政経東北」で、「廃炉の流儀」と題した連載を続けている。「政経東北」のホームページで読むことができる。https://www.seikeitohoku.com/category/earthquake-and-nuclear-accident/ 

[10] 原発事故の後の2011年9月、原子力損害賠償の実施などを目的に「原子力損害賠償支援機構」が設立された。2014年8月、「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」に改組され、東電の廃炉作業の支援も始めた。

[11] 同機構は2016年7月、廃炉作業の技術的な裏付けとなる「技術戦略プラン2016」を発表し、原子炉建屋をコンクリートで覆う「石棺方式」採用を示唆する表現を盛り込んだところ、福島側で「廃炉断念の布石では」といった批判が出て、機構はその部分を削除した。https://mainichi.jp/articles/20160721/k00/00m/040/055000c https://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/07/post_13962.html

[12] 「廃炉に関する対話」の日程と配布資料・動画はこちらで見ることができる。https://www.dd.ndf.go.jp/activity-report/taiwa/index.html  https://www.dd.ndf.go.jp/activity-report/taiwa/2025s.html 

[13] https://dd-ndf.s2.kuroco-edge.jp/files/user/pdf/activity-report/taiwa/pdf/2025a2_doc.pdf のP2。

[14] 毎日新聞は2021年1月、福井大学特命教授だった柳原敏氏へのインタビュー記事を掲載。廃炉の実情に詳しい同氏は「問題はエンドステートが明確でないことだ。工程表の廃炉とは、燃料デブリを取り出したら終わりなのか。それとも建屋の解体までのことか、または更地にして汚染土壌も取り除いてきれいにすることなのか。もし、敷地全体で計測される放射線量も下げて汚染廃棄物もどこかに持っていくことを『廃炉の終わり』と定義するなら、結構大変な仕事になる。30~40年でできるかは疑問だ」と語った。https://mainichi.jp/articles/20210125/k00/00m/040/088000c 

[15] 朝日新聞は2023年9月、日本原子力学会で廃炉問題を検討する委員会のトップを務める宮野廣氏へのインタビュー記事を掲載した。記者が「政府と東電は51年までに福島第一原発の廃炉を完了させる方針ですが、そもそも『廃炉完了』した時の姿を示していません。通常の廃炉のように更地にするのか、原子炉建屋など一部の設備が残っていても廃炉完了とみなすのか。目標があいまいです」と質問。これに宮野氏は「そこが本当に大きな問題です。出てきた廃棄物をどう処分するのか……ビジョンなしに単に作業しているだけでは、場当たり的になっていく気がします」と答えた。また、記者の「51年までに『廃炉完了』と言えるような状態になるのでしょうか」との問いに、宮野氏は「ならないと思います。(事故を起こしていない)一般の原発は、炉心に核燃料がない状態から廃炉作業が始まって、30~40年かかります。福島第一原発は、いまも炉心に燃料デブリが残った状態ですから、51年に完了というのは、あり得ない話です」と語った。https://digital.asahi.com/articles/ASR992VT8R97ULBH006.html?iref=pc_ss_date_article 

[16] 2011年版のロードマップだと、「燃料デブリ取り出し目標(初号機)」は、「2021年度」からとされていた。

[17] 原子力規制委員会の初代委員長を務めた田中俊一氏は2020年11月、朝日新聞のインタビュー取材で「工程表(ロードマップ)に『30~40年で廃炉を完了する』とあります」との記者の質問にこう答えた。「できません。30~40年後は誰も責任がないから、そう書いているだけです」「更地にはできません……原子炉建屋のまわりはほとんど人が出入りできない土地になると思います」「できないことは、できないんですから。それなのに、デブリを取り出して更地になるように言うのは罪だと思います」

[18] 前掲「廃炉とは何か」のP34~40。

[19] 朝日新聞は2024年3月、技術コンサルタント・河村秀紀さんらが福島第一原発の図面などの公開情報をもとにした廃棄物の試算(17年)を紹介している。記事によると「敷地の放射線量が下がり、自由に出入りできる状態にする場合の放射性廃棄物は約780万トン。事故を起こしていない原発の600基分に相当する」という。また、この記事は「日本原子力学会の分科会が20年に公表した報告書は河村さんらの試算を引用し、更地にする『完全撤去』、地盤などを残して管理する『部分撤去』のシナリオを検討。部分撤去だと廃棄物量は完全撤去の約半分の約440万トンで、さらに放射性物質が自然に減るのを待つ期間を置けば、約110万トンになるとした」と伝えた。https://digital.asahi.com/articles/ASS376758S37ULBH007.html?iref=pc_ss_date_article

[20] https://www.ccnejapan.com/download/CCNE_specialreport8.pdf 原子力市民委員会の技術・規制部会の滝谷紘一氏の資料(https://www.ccnejapan.com/download/20240416_CCNE_Takitani.pdf)、同じく川井康郎氏の資料(https://foejapan.org/wpcms/wp-content/uploads/2024/09/240927_kawai.pdf)も参考になる。

[21]「100年以上隔離保管後の『後始末』」 https://www.ccnejapan.com/download/CCNE_specialreport1_2017.pdfのP6。

[22] 費用の問題もある。在京テレビ局に勤務し、事故収束を取材してきた吉野実氏は「『廃炉』という幻想」(2022年2月、光文社新書)で、政府の廃炉費用8兆円との試算に関して、「この試算にはとんでもない『穴』がある……取り出したデブリを含む放射性廃棄物の処理・埋設費用が『含まれていない』ことである」と指摘している(P218)。

[23] 前掲「廃炉とは何か」のP74から。

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この記事を書いた人

小森 敦司 フリージャーナリスト、行政書士

1964年生まれ。上智大学法学部卒。1987年に朝日新聞社に入社、経済部やロンドン特派員、エネルギー・環境担当の編集委員などを経て2021年に退社、フリージャーナリストに。著書に「日本はなぜ脱原発できないのか」「『脱原発』への攻防」(いずれも平凡社新書)、「原発時代の終焉」(緑風出版)など。2024年、行政書士事務所を開業。

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