原発の耐震安全性は、東日本大震災の前から、原発差止裁判の大きな争点となってきました。
◆ 2007年10月26日、浜岡原発運転差止訴訟 静岡地裁判決
この裁判では、想定東海地震の震源域である御前崎市に立地する浜岡原発が、将来、襲うかもしれない最大の地震に耐えられるかどうかが大きな争点となりました。住民側は、既往最大を超える地震発生のおそれがあることを主張しましたが、判決では、「抽象的な可能性の域を出ない巨大地震を国の施策上むやみに考慮することは避けなければならない」として住民側の訴えを却下しました。
「原発震災」の危険性を訴えてきた地震学者・石橋克彦さんは、この判決に対して、次のようにコメントしました(2007年10月27日、毎日新聞)。
「必ず起こる巨大地震の断層面の真上で原発を運転していること自体、根本的に異常で危険なのに、原発推進の国策に配慮した判決でまったく不当だ。柏崎刈羽原発の被災以来、地震国日本の原発のあり方に注目している世界に対し、恥ずかしい。10年前に警告した「浜岡原発震災」を防ぐためには、4基とも止めるしかない。判決の間違いは自然が証明するだろうが、そのときは私たちが大変な目に遭っているおそれが強い。」
それから3年半後の2011年3月。まさに石橋さんが警告したように、東北地方太平洋沖地震とその後の津波により、福島第一原発事故が発生しました。福島第一原発事故後の原発運転差止訴訟では、原発の耐震性や新規制基準の妥当性について、裁判所が住民側の訴えを認め、運転差止を認めた判決・決定も出されましたが、最近では、住民側に「具体的危険性」の立証を求め、原子力規制委員会の審査に「合格」した原発の安全性について、裁判所が自ら判断しようとしない判決が続いています。その一例を紹介します。
◆ 2021 年3 月18 日、伊方原発運転差止仮処分異議審、広島高裁
この裁判の決定要旨では次のように述べられています。
「現在の科学的知見からして、本件原子炉の運転期間中に本件原子炉の安全性に影響を及ぼす大規模自然災害の発生する可能性が具体的に高く、これらによって債権者(住民)らの生命、身体または健康が侵害される具体的危険があると認められなければ、本件原子炉の運転差止を命じるという法的判断はできないというべきであり、この疎明責任は、債権者らが負うべきである」
自然災害発生の可能性が高いことを立証することは、科学者でもできません。また、原発の安全性に関わる裁判での「立証責任」については、1992年の伊方原発訴訟の最高裁判決において、その原発の安全審査に関する資料などをすべて事業者側が持っていることを考慮して、まず、原発事業者側が安全審査に問題が無いことを立証するべきであり、その立証が尽くされなければ、安全震災に不合理な点があると認められる、という判断の枠組みが示されています。福島原発事故直後の原発訴訟では、この最高裁判決の判断枠組みが前提とされてきましたが、ここで紹介した2021年の広島高裁決定のように、住民側が危険性を立証しなければ、原発の運転差止は認めない、という司法判断が主流になってしまっています。これは極めて危険な状況であり、深刻な問題です。
参考:『原発ゼロ社会への道』2022 p.194~「4.4.2 原発の運転あるいは事故責任についての司法判断」
<おすすめ参考書籍>
海渡雄一『原発訴訟』(岩波新書、2011年)
樋口英明『私が原発を止めた理由』(旬報社、2021年、(増補改訂版、2026年))
樋口英明『南海トラフ巨大地震でも原発は大丈夫と言う人々』(旬報社、2023年)
こちらのコラムは「なまず先生と考える 地震の国で原発は大丈夫?」の追加コンテンツです
