設立趣意書

2013年4月15日

「原子力市民委員会 設立趣意書」

 福島第一原発事故から二年が経過した。事故炉の安定の確保にはほど遠く、多くの被災者が故郷に戻れぬ一方、生活の再建の見通しも立たないという過酷な状況が続いている。福島原発事故を契機に、日本の原子力発電およびそれに関する国家政策(原子力政策)は漂流状態に陥り、将来への針路を決められずにいる。現在稼働しているのは関西電力大飯3・4号機の2機だけであり、その2機も定期検査のため今夏には停止し、再び日本は原発ゼロ、つまり原発運転モラトリアム状態となる。
 原子力政策では、内閣府「原子力委員会」が新大綱策定会議の事前秘密談合事件により機能しなくなり、経済産業省主導で策定されたエネルギー基本計画(2010年)も失効状態となった。それに代わるべきものとしてエネルギー・環境会議が2012年9月に定めた「革新的エネルギー・環境戦略」の発動は、実質的に凍結されたままとなっており、原子力政策もまたモラトリアム状態に置かれている。
 2012年12月の政権交代を契機に、政治サイドでは、福島事故以前の状態への原状復帰、つまり大半の原発の再稼働、および建設中・計画中の原発の開発や核燃料サイクル事業の継続、更には海外への原発輸出といった志向が強まり、失効状態にあるエネルギー基本計画を改定し、そこに原状復帰の方針を盛り込もうとする動きが強まっている。
 しかしそうした政策上の後戻りを、福島原発事故を受けて、「脱原発社会」を建設したいという願いが多数意見となった世論が簡単に黙認するとは思われず、政策が空回りする可能性は高い(ここで脱原発社会とは、原子力発電を廃止するとともに、原子力発電にともなう負の遺産を賢明に管理する社会のことを指す)。

 福島原発事故によって日本と世界の人々は、チェルノブイリ事故のような過酷事故が、特殊な国の特殊な原子炉に限られたものではないことを学んだ。そして原発の過酷事故のもたらす巨大な損失を修復することは全く不可能であり、しかも過酷事故リスクは無視できないほど高いということを、身をもって学んだ。原子核エネルギーのコントロールの失敗という、決して起こしてはならない事態を発生させたのである。大きな犠牲によって得られた教訓を生かすためには、脱原発社会の建設という、もうひとつの道を歩む以外にない。

 ここにおいて重要になってきたのは、脱原発社会建設のための公共政策上の具体的道筋を、倫理的観点を盛り込みながら本気で考えることである。私たちにはその経験が乏しい。それは従来の政治・行政体制のもとで、脱原発が進むことはほとんどあり得ないと多くの人が考えてきたためである。しかし福島原発事故によってその状況は大きく変わった。脱原発が世論の多数意見となった以上、脱原発に至る最善の具体的道筋をつけることが、今や現実的課題となったのである。その具体的道筋の中核部分をなすのはもちろん公共政策である。ここで現実的というのは、新たな公共政策の実施によって生ずるメリットと、その副作用とを吟味し、冷静な評価を行うことである。

 以上のような状況をふまえて、このたび、脱原発社会建設のための具体的道筋について、公共政策上の提案を行うための専門的組織として「原子力市民委員会」を設立することとした。1956年に設立された政府の「原子力委員会」をはじめ、原子力政策に関与する政府の諸組織(原子力規制委員会、経済産業省総合資源エネルギー調査会、復興庁など)に対抗する組織として、脱原発へ向けた原子力政策改革の具体的方針を提案すること、およびそのために必要な調査研究を行い、その成果を公開することが目的である。最低5年以上、できれば10年以上は、この組織を維持したい。

 既存の「原子力委員会」は、原子力関係者による、原子力関係者のための組織として、原子力政策の企画・審議・決定を行ってきたものと、私たちは認識している。それに対して「原子力市民委員会」は、市民の公共利益の観点に立って、原子力政策の企画・審議・提言を行う点で、原子力委員会と大きく異なっている。
 原子力市民委員会は、脱原発に賛成する人々が幅広く参加し、脱原発へ向けての政策提言に資するための調査研究の成果や進行状況を報告し合い、そこでの意見・情報の交換を行うフォーラムを組織し、それに基づく政策提言をまとめることを目指す。脱原発を積極的に主張することは躊躇するけれども、脱原発の方向性を受け入れる用意のある人々も、ぜひこのフォーラムに参加してほしい。脱原発運動を長年担ってきた人々や、実績のある脱原発論者たちが、この組織の参加者の多くを占めることは、少なくとも初期においては不可避であるが、福島原発事故後、脱原発の考えに共鳴するようになったより広範な人々の参加を広く求めたい。参加に際しては、日本の原子力政策の根本的な見直しに貢献するという姿勢を持つことが必須の条件である(なお参加者は組織ではなく個人の資格で参加するものとする)。
 政府の原子力委員会は、最重要の政策文書として「原子力政策大綱」を定め、それ以外にも多くの専門部会等を設置し、問題別の報告書を発表してきた。また随時、委員会としての見解・声明を発表してきた。
 原子力市民委員会は、それに対抗した政策提言活動を進めていきたい。その最重要の報告書となるのは「脱原子力政策大綱」である。設立1周年を目処に、第1回の脱原子力政策大綱を公表したい。基本的には毎年、改訂を加えていく予定である。参加者たちの間で意見の一致がみられない論点については、複数案についてそれぞれ長所・短所を明記して、並記する。無理に一本化する必要はない。また、脱原子力政策大綱以外にも、重要度の高いテーマについて各論的な報告書を随時まとめる。急を要する重要問題については適宜、見解・声明を発表する。さらに、公共政策に関わる組織・団体・個人からの要請に応じて、情報や知識を提供する「脱原発政策のための独立民間シンクタンク」としての活動も実施する予定である。

 なおこの「脱原子力政策大綱」は、「脱原発基本法」制定ののち、「脱原子力基本計画」として実行されることを想定している。また、言うまでもなく、原子力市民委員会による政策大綱の最大の特徴は、福島原発事故の事故対策および福島原発事故によって影響を受けた全ての被害者・被害地域への支援を含むことである。想定する読者は、政府・国会・政党・自治体などの関係者やマスメディアやジャーナリストおよび原子力問題に関心をもつ一般市民である。とりわけ、次世代を担う若者にも広く読まれるよう、分かりやすい文章作成を心がけたい。この市民委員会は、認定NPO法人高木仁三郎市民科学基金(略称:高木基金)の特別事業として設立され、同基金からの助成を主たる財源として運営される。高木基金がこの事業に取り組む意義と経緯については、別添の文書を参照されたい。

 脱原発は一朝一夕には実現できない。ドイツでもシュレーダー政権下で脱原発合意(2000年)ができてから、メルケル政権による脱原発決定(2011年)まで11年の歳月を要した。この間、前進局面もあれば後退局面もあった。日本でも同様の経過は避けられないだろう。また脱原発には一定の痛みが伴う。脱原発が実現してからも長期にわたり、私たちは原子力の負の遺産の返済に追われ続けるだろう。それでも脱原発の道筋をつけることにより、よりよい未来を孫子の代に手渡すことができる。日本の脱原発を願う全ての人々の参加を期待する。

以上

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